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社会保険労務士・貝塚市の民生委員からの猥褻行為の被害
社会保険労務士会の対応
3年間の沈黙
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3年間の沈黙

平成18年4月26日、O都道府県社会保険労務士会・S支部の当時の事務局長のM下の言葉は、私の心を凍らせました。

4通もの申立書やその他数通のFAXをO都道府県社会保険労務士会・S支部に提出しました。
I口からの猥褻行為の被害より、M下の対応に傷ついたことを、何度も何度も訴えました。
しかし、回答は、ありませんでした。

平成18年5月12日、S支部の有志の勉強会の後、S支部の支部長、女性の副支部長のJさんから、私、そして、I口からセクハラの被害を受けていたHさん、その他にS支部の女性の社会保険労務士のLさん、Oさん、Pさんに対して話があるとのことでした。

女性だからと言って、猥褻行為という性的被害を受けた女性の痛みを理解できるとは限りません。
そのことを知ることになりました。

O都道府県社会保険労務士会にもS支部にも処分規定はありません。
平成18年4月17日に「処分を求めますか。」という質問をしておきながら。。。処分規定がないから処分ができなと。。。
ですから、I口に対して、私は「S支部の行事に一切参加を禁ずること」をS支部に求めました。当然のことです。
次をなくすためには最低限必要なことです。

S支部の支部長から、I口に対して「顔を見たくない。」という女性もいること、そのことをI口に伝えるとI口自らS支部の行事に参加しないと言っていると説明がありました。

「S支部の支部長としては、I口先生には、今後、S支部の行事への参加は控えていただきます。」
Hさん、Lさん、Oさん、Pさんは、「そこまでの処分は求めていない。」「それでは、I口先生がかわいそう。」と。。。まるで、私が悪者です。

女性の副支部長のJさんの「どうして眠れなくなるの。それくらいで。」という言葉も、私の心を凍せました。

『声』を抑えることを選びました。
あのときは、社会保険労務士会という組織に属しなければ、社会保険労務士としてやっていけないと錯覚したのです。

私は、Nさんとの約束を守れなかった。。。
「私たちは、次をなくすために辛いを思いをしたんだ。私たちは次を無くすための役割を担っている。」

Nさんとの約束を守れなかったこと、守ろうとしなかったことが、『声』を出し、『次をなくすために』戦うことより苦しいことを知ることになります。

平成21年4月のO都道府県社会保険労務士会・S支部の総会までは、積極的に参加しました。
いえ、用事もないのに参加しなければ、次に行けなくなるような気がしました。
M下の姿を見ると、平成18年4月26日の言葉を思い出します。辛いものでした。

『 被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』

このことが全然理解されていないのです。

どれだけの社会保険労務士のホームページでセクハラ防止やセクハラ相談が業務内容として紹介されているでしょう。。。

平成18年4月26日、O都道府県社会保険労務士会・S支部の当時の事務局長のM下で電話をする直前までは、セクハラ防止・セクハラ対応が職責の社会保険労務士の集まりの会への被害女性からの申し立てを当然のこととして、いえ、被害女性からの申し立てを待っていると思っていました。

社会保険労務士のホームページを見るとむなしいものを感じます。


A先生とのセクハラ裁判が終結したばかりです。
A先生の時とは違います。
A先生も社会保険労務士でしたが、A先生は社会保険労務士の行事に参加しない、社会保険労務士でした。
社会保険労務士会より大切な組織がA先生にはありました。
でも、今度は、O都道府県社会保険労務士会・S支部の事務局長に対して問題提起することになります。
社会保険労務士として属さなければならない組織を相手に戦う勇気はありませんでした。

私は、『泣き寝入り』を選択しました。