その1 平成23年8月25日、猥褻行為の加害者・I口からの形だけの謝罪を受けました。 謝罪くらいでは許せない、でも、謝罪さえないことは、惨めで情けないこと。 謝罪は受け、でも、許す必要はない。 このことは、本当に気持ちを楽にさせました。 I口には「貴方を永遠に許しません。」と言い切りました。 5人の人が私の立会人となってくれました。 民生委員制度の見直しのために、変える力を持った人。 社会保険労務士がセカンドハラスメントの加害者にならないようにセカンドハラスメントの概念の理想を追い定着させる人。 社会保険労務士の質の向上と地位の向上のために動いている人。 平成23年8月25日は、謝罪を受けるための日ではなく、民生委員制度の見直しを、その力を持った人にお願いする日、そして、社会保険労務士の品位保持と質の向上のために社会保険労務士会に働きかける力を持っている人にお願いする日、セカンドハラスメントの加害者に社会保険労務士がならいないようにセカンドハラスメントの概念を定着させる人にお願いする日です。 社会的弱者にとって、民生委員は地域に密着した大切な存在です。 I口のようにセクハラの常習犯と言われながらもセクハラを繰り返し、人前で猥褻行為を平然と行えるような人間が民生委員となるような地域があることは本当に問題です。 変える力を持った人たちが、民生委員の質の低下の現実を見て、民生委員制度の見直しに動いてくれることは、抑止力となります。 『次のために』。。。 I口から受けた猥褻行為の被害。。。このことのためにあったのかもと、少しですがそう思えるようになりました。 変える力を持った人たちが、漠然と民生委員の質の低下を気にかけていても具体的な事例がなければ取り組むことは難しいですから、民生委員・I口が社会保険労務士会の会合の場で行った猥褻行為、そして、謝罪しない理由を支部役員の責任にするなど、質の低下というより民生委員制度の趣旨に反する人物が民生委員となっていたという現実が形として活用されることになります。 私の被害体験が『次に生かされる』。。。せめてもの救いとなります。 社会保険労務士会の今までの対応は、間違っています。 社会保険労務士法や会則で品位保持が定められています。 社会保険労務士の地位向上には欠かせないことです。 まして、社会保険労務士が集う社会保険労務士会の会合の場で、品位を汚す行為を平然と行う人間の存在を許すべきではないのです。 社会保険労務士会は被害女性の私より、もっとI口に対して怒りを持たなければならないのです。 そして、対応を誤ったM下に対しても強い怒りを持たなければならないのです。 社会保険労務士に相談して、更に傷つけられた、社会保険労務士の対応で更に事態が悪化したということを耳にすることがあります。 セカンドハラスメントは事業主と社会保険労務士が持たなければならない概念です。 事業主は会社を守るために、社会保険労務士は地位向上と質の向上のために持たなければならない概念です。 被害女性と対立の構図を作り、加害者を庇うような言動は、組織のために決してなりません。 I口は、まるで他人事のような態度でした。 民生委員として、他の民生委員に迷惑をかける行為であったという意識は感じられませんでした。 社会保険労務士として、他の社会保険労務士、支部役員、そして、社会保険労務士会に迷惑をかける行為であったという意識も感じられませんでした。 本当に他人事のようでした。 謝罪も、I口の弁護士に促されてでした。 加害者が何故加害行為に及ぶのことができるのか。。。 そもそも、加害者に周りに迷惑が及ぶことの認識があれば、セクハラ問題など起こりません。 セクハラ問題は加害者に原因があるから起こってしまうのです。 『被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』 被害女性が被害を『声』にすることが問題ではありません。 被害女性が問題提起することが問題なのではありません。 加害者が加害行為を行うことが問題です。 そのことに焦点を当てることができず、被害女性が問題提起することに嫌悪を持ち、被害女性を傷つける言動を取ることは、何の解決にもなりません。 I口の弁護士に対して、私は「弁護士が介入しているのですから、解決に導いて下さい。」と言いました。 実務的には加害者側か加害者が属する組織側に立たざるを得ない社会保険労務士にも言えることです。 問題を解決したいのは加害者の方です。 被害女性の方は、問題が解決しなくても何ら困ることはないのです。 問題が解決しなくても、今と状況が変わらないだけです。 被害女性の本当の解決は、自分と同じ被害に遭う女性が皆無になることです。 金銭的な解決の方が、弁護士にしても社会保険労務士にしても、何より加害者にとって簡単で楽でしょう。 『次のために』と戦うことを選択したセクハラの被害女性は金銭的な解決はありません。 セカンドハラスメントで傷つけられた心は、謝罪も解決になりません。 『被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』 被害女性と対立の構図を作ることは、顧問先・関与先の企業にとって悪い方向に進ませるだけです。 被害女性は、情報を交換しあい、協力し合います。 しかし、加害者は情報を交換し合うこともなく、協力し合うこともありません。 問題が長期化すれば、どのような展開となっていくかは想像できるのではないでしょうか。 |
その2 セカンドハラスメントの概念は、事業主と社会保険労務士が持つべき概念です。 いえ、持たなければならない概念です。 自分自身と会社を守りたいのなら、セカンドハラスメントの概念は持たなければならない概念です。 先日、中学生の少年が自殺をしたことが新聞に掲載されていました。 担任の先生のコメントは「夏休み前にいじめがあったが、話し合いをし終わったものと思っていた。」でした。 『終わった。』。。。終わっていたのなら少年は自ら命を絶ったりしません。 『終わった。』のではなく、関係者が『終わらせたかった。』だけなのです。 また、パワハラと加重労働が原因でうつ病を発症し、自殺をした労働者の遺族が会社に対して訴訟を提起すべきことが新聞に掲載されていました。 会社側は「パワハラはなかった。」と主張しているようです。 最悪の事態が起こったときに、「終わったこと。」「パワハラはなかった。」と主張して何になるのでしょうか。 失われた命が戻ることは決してありません。 遺された人たちに、どんな言い訳をしても、どんな説明をしても、虚しいものでしかないはずです。 私も自ら命を絶つことを何度も考えました。 今でも、その思いがよぎることがあります。 ただ、I口やM下が苦しむより、周りの支えてくれる人たちを苦しめることになるから思いとどまっているのです。 『ひめみこ』さんの言葉 『セクハラ・セクハラと騒いでいる人やパワハラ・パワハラと騒いでいる人たちと、本当の被害者を一緒にしないで欲しい。 大企業の恫喝訴訟のセクハラの被害女性を支援している人の言葉 『悪質な対応をマニュアル化しても、世間から悪の企業とされ、社会的な制裁を受けるときがくる。』 セカンドハラスメントの概念を持つことができず、被害女性や被害者の『声』を抑える。。。被害女性や被害者が問題視することを責める。。。解決できないのは被害女性や被害者に原因がある。。。終わらないのは被害女性や被害者が終わらせようとしないから。。。この考え方は、これからの企業の健全な発達には大きな障害になります。 被害女性や被害者にとっても、解決は、自分が遭った被害が皆無になることしかないのです。 セクハラ裁判を果敢に戦ったNさんの言葉 『私の裁判が終わって早4年半が経過していますが、相変わらずの男性社会、弱者を踏みにじっても何とも感じないセクハラの加害者には天罰が下ってほしいと願わずにはいられません。』 裁判も過程の一つにしかすぎません。 セクハラの被害女性 社会保険労務士 2つのキーワードを持つことで、セカンドハラスメントについて様々なことを考えました。 実務的には事業主と顧問契約をすることで報酬を得ています。 日々の糧は、顧問先・関与先から支払われる報酬です。 企業がセクハラやパワハラの被害者となることはありません。 加害者若しくは加害者が属する組織に顧問先・関与先はなってしまうかもしれません。 その時、社会保険労務士としてどう対応するのか、どう対処するのか。。。 被害女性や被害者にとっての真の解決は、自分と同じ被害に遭う人が皆無になることです。 終わりはないのです。。。 終わりがないということは、加害者や加害者が属する組織の方が本業とは無関係とも言える問題を半永久的に抱えることになります。 解決することがない、終わることがない問題に労力と時間を割かれ、企業のイメージを損なう問題を抱え続けることになります。 本業に支障をきたす可能性もあります。 セカンドハラスメントの概念は事業主と社会保険労務士が持たなければならない概念です。 原因と責任は全て加害者にあります。 加害者が加害行為を行うことに問題があります。 その根本的に原因を排除しない限り、問題を解決に導くことができません。 被害女性や被害者の『声』は、問題提起は、企業に巣くう『悪』の問題を表に出し、根本的な原因を取り除くためのものであり、企業を『善』に導くきっかけではないでしょうか。 社会保険労務士会に対して、私は、今、このような言葉を使っています。 『社会保険労務士会の会合は、社会保険労務士が集う神聖な場所、その場で、平成の時代に猥褻行為を行う人間が社会保険労務士会に存在することは恥かしい事ではないのか。猥褻行為やセクハラ行為を同じ社会保険労務士の女性に行う人間が社会保険労務士を名乗ることを許せるのか、嫌ではないのか。』と。 O都道府県社会労務士会の事務局の女性に、この問いかけをしたところ、その女性は、「私は答えることができません。」でした。 その答えに対して私が言った言葉は「猥褻行為やセクハラ行為が良いわけがない。社会保険労務士会は悪い事を悪いと言えない体質なのか。」です。 大企業の恫喝訴訟のセクハラの被害女性を支援している人の言葉 『悪質な対応をマニュアル化しても、世間から悪の企業とされ、社会的な制裁を受けるときがくる。』 この言葉通りです。 企業の健全な発達のためには、セクハラもパワハラも起こってはならないことなのです。 企業に限らず、組織運営においては、様々な問題が起こり対応しなければなりません。 無益な無意味な問題を起こすべきではないのです。 問題を起こすのは加害者であり、被害女性や被害者ではありません。 セカンドハラスメントの概念は、リスクマネジメントの一つです。 |
その3 平成23年10月6日、I口を強制わいせつ罪で刑事告訴することができました。 警察に告訴状が受理されました。 交通事故なら単なる接触事故でも届け出なければならないのに、親告罪である強制わいせつ罪は、警察は被害届は、おろか、告訴状も中々受理しません。 日本の性犯罪の刑罰は軽すぎます。 民事での精神的苦痛に対する損害賠償額も低すぎます。 この現状がわかっていたから、I口には「世間の処分」を求めています。 I口のような人権を踏みにじる行為を平然と行い、罪の意識もなく、謝罪もしない、逆に弁護士を使って嫌がらせとしか思えない、被害女性に精勤的苦痛を与えることを目的としか思えない書面を送りつけるような人間の皮を被った鬼畜をのさばらしているのは、周囲の無関心さ、M下のようにセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)を与え人間の存在です。 セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者に対しては、刑事も民事も今の段階では罪を追及するのは無理です。 ですから、M下にも「世間の処分」を求めています。 「世間の処分」を求めることも、被害女性には大きな大きな負担です。 更にセカンドハラスメントを受け続けます。 周囲の支えがなければ「世間の処分」を求め続けることもできません。 ある大企業のセクハラの事件の被害女性を支援している方の言葉です。 「民事より刑事で」 「セクハラの被害に遭った時は、まず、警察に届け出る。警察に相談する。刑事告訴をしてから民事裁判の提起をする。」 「警察は被害届を中々受理してくれません。」という私に、「警察が受理してくれない、受理されにくいではなく、警察に受理されやすい流れを作っていこう。10回は警察に足を運んでください。」と言いました。 子どもの問題に取り組んでいるNPOの代表と話をしていて、「警察が受理してくれず時効を迎えても、いずれ警察が受理しなかったことが悪いとなる時代がくる。まず、警察に足を何度も運んだという事実を残しておこう。」という考えになりました。 4回目で受理されました。 受理されると、刑事告訴が持つ意味・力の大きさを感じました。 そして、次の展開への広がり。 「セクハラを皆無すること、せめて、セカンドハラスメントが起こらないこと」 このことを強く願い、その願いを叶えるために頑張っています。 民事なら、弁護士費用がかかります。 被害女性が嫌な思いをして、更にお金を使う。 お金がない人は、民事だと裁判もできないことになってしまう。 この流れを変えるためにも、刑事告訴には大きな意味があります。 刑事告訴には、被害女性の個々にも大きな意味を持っています。 被害女性としての私は、加害者の悪意で故意の行為により傷つけられ、更にセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)で傷つけられ続けている被害女性たちを出会うことができました。。。『根っこは同じ』『次のために』。。。戦う場所や手段は違っても。。。 三人寄れば文殊の知恵。。。 一人一人の知恵は乏しくても。。。 一人一人の力は無力に近くても。。。 一人一人の知恵が集まれば、一人一人の力が集まれば、大きな知恵、大きな力になります。 私の知恵は乏しく、私の力は本当に無いに等しかった。。。 でも、多くの人が知恵を授けてくれました。 多くの人が力を貸してくれました。 多くの人の知恵と力は、本当に大きな知恵で大きな力となりました。 その「多くの人」は、女性の人権問題に取り組んでいる人たち、セクハラの被害女性たち、パワハラの被害者たち、、子どもの問題に取り組んでいる人たち、福祉に取り組んでいる人たち、そして、今の社会保険労務士会の古い体質に反感を持っている人たち。。。 その「多くの人」たちが授ける知恵に、貸す力に、猥褻行為の加害者・I口への配慮、セカンドハラスメントの加害者・M下への配慮、社会保険労務士会への配慮、役員たちへの配慮はあるでしょうか。 I口の立場より、M下の立場より、社会保険労務士会の立場より、役員たちの立場より、『セクハラの被害を皆無にすること』や『次のために』の方への願いが強いのです。 私だけではありません。 セクハラの被害女性は、ただ、当然のことを『声』にしただけです。 『声』にすることが、対立関係になるとは思っていませんでした。 I口のセクハラ行為・猥褻行為に耐える必要があるでしょうか。 ありません。 だから、『声』にしただけです。 社会保険労務士法や会則に「品位保持」が定められています。 処分規定もありました。 社会保険労務士でなければ参加できない会合の場で、品位保持どころか人権侵害を平然と行うI口のような社会保険労務士の存在は、社会保険労務士会にとっても、他の社会保険労務士にとっても良いことではないのは明白です。 だから、被害を『声』にすると理想の対応がされると思っていただけです。 でも、その『声』を消された。。。 悔しい思いが、「多くの人」の知恵や力を借りることになりました。 もし、あの時。。。 知恵を授けてくれるのが社会保険労務士会の役員だったのなら。。。 力を貸してくれるのが社会保険労務士会の役員だったのなら。。。 I口への配慮、M下への配慮、何より社会保険労務士会と役員への配慮もある知恵と力だったはずです。 今となっては、何もかも遅いですが。。。 社会保険労務士として大きな学びがありました。 本当に問題解決をしたいのなら、どうするのが得策なのか。。。 自分自身の身と顧問先・関与先を守るために必要なことです。 |